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BISESとは

ビズの歴史 2002年

『No.21冬号 BISESが伝えたかったことの集大成』

連載「チャールズ皇太子の庭から」は読者の間に大きな反響を呼び起こした。とくに、皇太子がハイグローブの1112エーカー(約136万坪)の農場で完全無農薬有機農業を実践し、そのオーガニック食品からあがる収益を全額チャリティー基金に寄付して社会的な貢献を行っていることを紹介した第4回の記事(2002年夏号)には多数の感動の葉書が寄せられた。

連載はその後、ハイグローブの庭を彩っているさまざまなガーデン・ファニチャーやガーデン・アートの紹介などを行いながら続き、四季折々の美しい移り変わりを紹介した2002年冬号で終了した。その終了を惜しむ声は多く、読者からは「ぜひ単行本にしてほしい」という要望も寄せられた。

全7回、14カ月に及んだこの連載は『BISES』が12年間にわたって伝えてきたイングリッシュ・ガーデンの美しさ、深さ、そこにある思想と哲学、美意識のすべてを含むものでありまさに『BISES』の歴史の集大成であったといえる。日本には現在、花や緑、自然、庭を扱った雑誌が数多くあるが、これほどまでにクオリティーの高い大型企画を実現した雑誌はほかにない。

『BISES』は連載「チャールズ皇太子の庭から」の第1回を掲載した2001年冬号で、読者にこう語りかけた。「ご存じのように、世界はいま大きな困難に直面しています。こんな時代に生きている私たちにとって、ほんとうの幸福っていったい何でしょうか?」「花が静かに私たちに語りかけてくれること、緑がそっと私たちに教えてくれること。そういうものが今後、ますます重要になる。BISESは、そう考えます」。

いま、新たな歴史に向かって力強い一歩を踏み出そうとしている『BISES』。
その未来にはいったい、どんなドラマが待ち受けているのだろうか?

BISESの歴史

1992年
『創刊』BISESは1992年5月、婦人生活社発行のインテリア誌『私の部屋』のリニューアル誌として創刊されました。誌名はBISESと書いて『私の部屋ビズ』と呼びました。 [ 続きを読む ]
1993年
モネの庭』創刊号から'92年冬号まで表紙はスペインの画家マネル・アノロの作品でした。しかし、'93年の早春号からは表紙がイギリスのガーデンフォトグラファー、アンドリュー・ローソンの写真に変わりました。 [ 続きを読む ]
1994年
『シシングハーストのホワイトガーデン』イギリスでもいちばん美しいといわれているシシングハースト・カースルの庭を大々的に紹介したのは'94年の早春号でした。もちろん、大好評でした。 [ 続きを読む ]

1995年
『チャールズ皇太子の庭』BISESの歴史の中でも記念碑的な1冊が'95年の早春号です。『チャールズ皇太子の庭』という大特集が皇太子ご自身の同意を得て、この号に掲載されました。 [ 続きを読む ]
1996年
『ヘッセを読もう』'96年盛夏号の『庭仕事は瞑想である ヘルマン・ヘッセ、もうひとつの顔』は、『庭仕事の愉しみ』(岡田朝雄訳)というヘッセのエッセイ集を出版しようとしていた草思社との同時進行企画でした。
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1997年
『BISESガーデン大賞』第1回BISESガーデン大賞の募集を発表したのは'96年冬号。それに対して、応募はなんと全国から988通。いずれも水準が高く、グランプリを選ぶのに苦労しました。 [ 続きを読む ]
1998年
『常寂光寺の紅葉』'97年11月、創刊以来、数々の傑作写真で私たちを興奮させてくれたアンドリュー・ローソンが初めて来日しました。「日本の庭を撮りたい」という彼を編集部は京都の常寂光寺に案内しました。 [ 続きを読む ]

1999年
『生まれ変わったBISES』新生BISESは、まず'99年5月に『緑と握手する家』という創刊準備号を発行。続いて7月には創刊号をナチュラリストの生活誌として発行しました。 [ 続きを読む ]
2000年
『タイム「マガジン大賞」受賞』'00年3月、BISESは予想もしていなかった賞をいただくことになりました。米タイム・グループのマガジン大賞写真部門で「とても美しい雑誌」として第3位に選出されたのです。 [ 続きを読む ]
2001年
『スノードロップが大人気に』春まだ浅いうちに純白の小さな花を咲かせるスノードロップは、まるで早春の妖精のようで、いま大人気です。 [ 続きを読む ]
2002年
『No.21冬号 BISESが伝えたかったことの集大成』連載「チャールズ皇太子の庭から」は読者の間に大きな反響を呼び起こした。 [ 続きを読む ]